2025年01月13日 21:19、日向灘で M: 6.6、深さ: 36.0km の地震が起きました。昨年、2024年08月08日 16:42に起きた M: 7.1、深さ: 13.5km の地震に続いてということで、気象庁が評価検討会を招集しました。前回の地震では「巨大地震注意報」を出すという空騒ぎをし、結果、社会に混乱を起こしたばかりか、トリガーとなって米価高騰が続いています。しかし、今回の地震では同じ愚は繰り返すことなく終了させたようです。
図1 20250113と20240808の震央マップ
中央上が先日の地震で、その右下が昨夏の地震となっています。ふたつの地震を隣接しているという表現をしている気象関係サイトもありますが、拡大した地図を見ると震央は隣接しておらず、また、深さが異なっているので離れた場所(直線距離: 17.91km)で起きた地震と考えられます。
また、この地震(20250113)の随伴震は近傍で発生することなく、いずれも東側に起きています。この時も、再び気象庁が評価委員会を招集しましたが特別な発表はありませんでした。
ちなみに評価委員会の開催規定は M6.8 以上の地震ということになっているらしいです。これは、個人的に大地震の基準としている 1E+15 J(M6.8)でありました。
しかし、昨日のノートに記しましたように、日向灘の地震と南海トラフの地震には関連性が無い、そもそも震源域(震源発生想定域)が誤っていると考えております。日向灘の大地震発生は、南海トラフ地震と切り離して、個別に検討して被害への対策・予防を行う必要があると考えられます。
※ 地震の活動(発生)を個人的に分類することにしました。時系列順に下記のように表記します。
先発震 ▶ 主震 ▶ 連鎖震 ▶ 随伴震 ▶ 派生震 ▶ 後発震
※ 連鎖震と随伴震は、主震直後または数時間以内(地震の仕組みによって異なります)に起きる地震で、連鎖震を伴わない場合もあります。
※ 派生震と後発震は、主震から数時間以降に起きる地震で、派生震は起きずに後発震となる場合もあります。
図2-1 20250113 日向灘地域の地震震央マップ
図2-2 20250113 全国の地震震央マップ
全国で起きた地震震央マップでは、拡大しなければ主震と随伴震とは同じエリアで重なって、巣のようになって発生しているように見えます。多くの地震は主震と連鎖震・随伴震はほぼ重なり合うように起きています。
しかし、この地震は日向灘地域だけの地震震央マップを見ると、主震はとても小さないくつかの随伴震を除くと、とんどの随伴震は関わりがありませんとまでは言いませんが、離れた場所で巣になって起きています。
図3 20250113 日向灘地震の 3D 散布図
図4 20240808 日向灘地震の 3D 散布図
図3 と 図4 は、2つの地震と当日起きたその他の地震を 3D 散布図にしたものです。ふたつの地震の規模は、エネルギーに換算すると 5.62倍の違いがありますので、随伴震の数も著しく異なり、分布の様子も明らかに異なっていることが良くわかります。
図2-1 の地震震央マップで見られたように、図3 では主震が他に比べると深い位置で起きて、随伴震はそれに対して東側上方(右上)に分布がひろがっているように見られます。その一方 図4 では、主震の直上方に多くの随伴震が起きていて、ふたつの地震の違いが良くわかります。
2025年01月13日 の地震には、当時の震源データを確認したところ、1.3秒前と 3分28秒、同36秒後にマグニチュードが不明(マグニチュード欄が “-” となっている)地震があります。2025年08月08日 の地震には見られまん。この 3つの地震と主震とがどのように影響し合っているか、強い関心を持たされましたが、残念ながらその情報は現時点では得られていません。
※ 緯度・経度と深さがわかっているので、ChatGPT に計算を求めましたが、解析に失敗して算出することができませんでした。
この不明な 3つの地震があったために、M6.6 ではありますが評価委員会が招集された可能性があるのでは無いかと考えました。
これから先は、日向灘地震で 1919-2021年 に起きた 1E+15(M6.8)以上の地震について見ていくことにします。
※ 個人的に大地震の区分を 1E+15(M6.8)にしたのは、昨年から地震データを収集・加工した中での経験則として決定したものです。マグニチュードでは無くて、エネルギー(J)に着目しました。
図5-1 19290522 の地震震央と震度観測地点マップ
図5-2 19290522 の地震震源と震度観測地点 3D 散布図
1929年05月22日 の地震(M6.9)は、深さ59km と浅発地震の中では深い部類に入るものとなっています。大地震の区分に入っていることから最大震度は 5 が 2ヶ所となっています。まだ観測網が疎な時代の地震ですが、最遠観測点は京都府宮津(震度1)となっています。
※ マップの区分では 震度5弱 となっています。これは、震度区分が現在の段階になったものでの凡例表示になっています。
図6-1 19311102 の地震震央と震度観測地点マップ
図6-2 19311102 の地震震源と震度観測地点 3D 散布図
1931年11月02日 の地震(M7.1)は、深さ25kmと比較的浅い地震ですが、2年前、1929年05月22日 の地震と比べると 2倍のエネルギーを発散した地震となります。
最大震度は 5 が 5ヶ所となっており、宮崎・都城・人吉・天草と九州の 4ヶ所に、ちょっと遠方の山口県防府にでも観測されています。さらに、最遠観測点は遠く離れた霞ヶ浦の北岸、茨城県石岡市となっています。
図7-1 19411119 の地震震央と震度観測地点マップ
図7-2 19411119 の地震震源と震度観測地点 3D 散布図
1931年11月02日の大地震からちょうど10年過ぎたところで、また M7.2、深さ 33km という大地震が1941年11月19日 に再び起きました。震源は北北東におよそ 44km 移動しています。
前回の地震に比べると 1.41倍のエネルギーを発散、位置の移動に伴うように、震度観測点も前回の地震に比べると北方向への分布が多くなっているように見られます。その一方で最遠観測点は、沖縄県那覇市となっています。
図8-1 19680401 の地震震央と震度観測地点マップ
図8-2 19680401 の地震震源と震度観測地点 3D 散布図
1919-2024年に起きた 1E+15(M6.8)以上の地震 7 のうち最大マグニチュード M7.5 の地震。
1968年4月1日 に起きた地震は、1941年の M7.2 の地震から 約16.5年の間隔があっての発生となりました。そして、震央は北東に移動して四国に近い場所、深さ 22km のところが震源でした。
地震の規模をエネルギー(J)の大きさで表すことにし、1E+15以上(M6.8)以上の地震を大地震、1E+16(M7.46)以上を巨大地震、1E+18(M8.8)以上を巨大地震と呼ぶことにします。
従ってこの地震は、1E+16 を超えていますので、巨大地震と呼ぶことにし、他の 7つの地震とは一線を画すものと考えられます。地震による社会的影響は大きかったと考えられるものの、実際には最大震度が 5、震度計測地 2 というものでした。震度 4 の計測地は 20 となっており、他の地震と比べて数は多いものの被害は少ないものだったと考えられます。
南海トラフ地震の発生に過敏になっている現在であれば、権益(予算)目的委員会が開かれて、最も愚かな判断としては、確実に『南海トラフ地震臨時情報』が発令され「注意報」は出るでしょう。しかし、この地震のデータを見れば誤った情報提供、社会をミスリードする判断とされるでしょう。
ただし、『南海トラフ臨時情報』の「警報」は、M8.0 以上(6.310E+16)ということなので、めったに出すことは無いでしょうし、出すような地震が起きた場合には、すでに大きな被害(津浪被害を含む)が生じていると考えられます。
図9-1 19840807 の地震震央と震度観測地点マップ
図9-2 19840807 の地震震源と震度観測地点 3D 散布図
1968年の巨大地震から 16年ちょっと過ぎたところで、また M7.1、深さ 33km という大地震が1984年08月07日 04:36 に再び起きました。
地震のエネルギー発散レベルからすると、最大震度 4 で大きな揺れは観測されなかったものの、はじめて紀伊半島の串本、尾鷲で震度が測定されています。さらに、最遠震度観測点が茨城県水戸市(震度1)というはるか東の地、また同県石岡市でも 震度1 が観測されているという、ちょっと特異な地震と見られます。
図10-1 19961019 の地震震央と震度観測地点マップ
図10-2 19961019 の地震震源と震度観測地点 3D 散布図
1996年10月19日 に起きた地震は M6.9、深さ 0.34km という非常に浅い場所での地震でした。その前に起きた地震(M7.1)は、約 2倍の大きさでしたので、かなり規模が小さな地震であったと言えます。
その一方で、1995年1月17日に起きた兵庫県南部地震後の観測網が充実(中)してから起きた地震、かつ機械計測での震度決定ということもあって、これまでの地震とは異なり 震度5 は見られず、最大震度は 4 となっています。
また、偶然でしょうが震度観測点の分布が震央から東北東の線上より上側となっているように見られます。極浅発地震ながらも広範囲の震度計側点が分布していることがわかります。
1929年05月22日(図5-1)の地震と偶然にもマグニチュードが同じ、深さがかなり異なりますが、震央の距離はおよそ 11.32km と比較的近いものとなっています。
2つの地震の差は、深さによる違いがどのように影響するかというよりも、観測網の差と測定方法の差が震度とその観測点にどのような影響があるかを示していると言えましょう。
2025年01月13日で起きた地震をきっかけとして、1929年05月22日からの 8つの地震を見てきました。いずれも同じ震源地域でマグニチュードは 6.8(1E+15)以上の大地震と呼べるものです。
震源の違いにより、震度が観測される地域、最大震度観測点等の違いを比較することができたと思われます。その要因は、地殻と地層という要因と、震度計測点の位置や観測網の密度という要因によっても異なることが良くわかります。
日向灘地震で起きた大地震の経緯を見ると、南海トラフ地震とは異なる性質を持った地震だということがわかります。その発生間隔は明らかに異なり、多くが大地震レベルのものであり、地震が影響する範囲も異なると考えられます。
個人的には南海トラフ地震の震源域に日向灘を入れることは間違っていると考えるようになりました。また、別のノートを作成する予定ですが、南海トラフ地震というよりもこれまで通り、南海・東南海・東海地震として考える、特に津波地震となることに注意を向けることが、震源域設定よりも重要なことなのではないかと考えます。
加えて、震度による地震予測は、地震とその被害の予測としては適当なもので無いことがわかります。マグニチュードでの予測も現在の観測網や観測機器の精度を考えると難しいものであり、地震の規模が被害の大きさに比例するという知見も、それに加えてその他の要因を加味しなければ予測できないものだということがわかります。
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